続き

ではどのように、自分の身をそこに置くのか。
まずは非物質的存在を自分の内に認識することが大事ではないかなと思います。

物質的な意識は生活の中にあるので身を置きやすい。
しかし、非物質的側面にほとんど意識をおかない現代の生活様式にあって、自分の意識を非物質的側面に置くことはとても難しいと思います。
これから少しそのことについて深く考えていきたいと思います。1つ思うのは、非物質的側面に深く導いてくれるような書物を読む、ということかなと思います。そういう場所に身を置く、というのもいいかもしれません。

話は変わりますが…
マイケル・J・ローズの本を読んで思ったこと。

「執着することなく相手を愛する。真の愛は感情ではない。真理である。しかし私たちは愛を感情の一つにしてしまい、愛する人に執着するという失態を犯す。」

まさにこれ。私が目指す愛はこれです。

これから誰かを愛する際には、感情で愛するのではなく、まさに真理で愛したいのだ、そういうことなのだ。
それは、アナスタシアが第2巻で言っていた、前々回の投稿内容と同じ事を意味している。


まさに相手を感情的に捉えるのではなく、非物質的側面において愛するように自分を変化させてみよう。
相手を「好き」という感情で思うことを辞め、ただただ大きな存在としての愛と同じ感覚だけで相手を想ってみよう。
それで相手が去っていったならそれまでのこと。真の愛がそこに存在するならば、決して去っていくことはない。去っていくということは、それ自体が執着という感情から結びついていた事を意味している。相手への関心が薄れるという意味は、相手を5感で、頭で、脳で判断していたということであり、真の愛の内にあらず。彼を大いなる愛の内に感じること、太陽の光が射す時に彼を感じ、爽やかなそよ風や美しい鳥のさえずり、新緑を愛でる時、彼の内にある愛を感じたい。たとえ彼がどのような行動に出ても、執着心を捨て、ただひたすらに自分は大いなる愛に身をゆだねて生きること。そのように彼の愛を感じ、私の愛を伝えることしかもはや出来ないような気がする。